中学時代から本を読むことが好きでして、色々な小説や詩を読んできました。が、最近気付いたことがひとつ。
所謂、有名作家と呼ばれる方々の作品を幅広く読んでいないということ。
今まで自分が気になった人の作品ばかりを読んできましたが、私もいい年だしいい加減に視野を広げよう、と思った訳です。要は、オーバーグラウンドに中指を立てて矢鱈と唾棄するには、やや年を重ねすぎたようです。
ということで、今まで訳もなく避けてきた太宰治や谷崎潤一郎の作品を読んでみました。
流石です。有名な人は有名なだけの理由があります。
両者何作か読んでみましたが、漏れなく面白かったです。
ベタですが、太宰治は「人間失格」「グッド・バイ」「如是我聞」を読みました。
友人に「お前は太宰治みたいだ(真意はわかりませんが、意志薄弱的な意味だと捉えています)」とよく言われるので、太宰治には勝手に親近感を感じていた事も相まってか、「人間失格」の主人公の青年期に共感を覚えたり、「如是我聞」における太宰治の悪態のつき方には甚く感銘を受けてしまいました。
上述した友人に「三十路過ぎで太宰治に共感するのはどうなの」と驚かれましたが、感動は誤魔化せません。
谷崎潤一郎は「細雪」「刺青」「異端者の悲しみ」「母を恋ふる記」「春琴抄」などを読みました。
太宰治とはまた文体が全く異なります。月並みな感想ですが、綺麗で引き込まれる文章は癖になりました。
特に「細雪」が非常に面白く、読み終わったその足でレンタルDVD屋さんへ行って映画版も観ました。映画版も面白かったのですが(市川崑監督、岸恵子さんがとっても綺麗でした)、個人的には原作の方が好みでした。
「異端者の悲しみ」では堕落した学生生活の心境に共感し、「母を恋ふる記」では作中に終始漂う幻想的な雰囲気からのラストの展開に思わずほろりとしそうになり、「春琴抄」では胸が締め付けられるような純愛にきゅんとしました。
太宰治も谷崎潤一郎も上記以外の作品を読みたいなと思いつつも、川端康成や芥川龍之介なんかも読んでみたいと思っております。また少し趣向が異なりますが、近代小説の走りと呼ばれている坪内逍遥の「当世書生気質」も読んでみたいです。
文学とは異なりますが、訳もなく避けてきたアメリカのロックバンド"クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)"を最近毎日聴いています。これが猛烈に格好良く、私の音楽的ツボをぐりぐりと刺激してきます。もっと早く聴けば良かった。
やはり何事に於いても、有名なものは有名なだけの理由があります。
読まず嫌い、聴かず嫌いは視野を狭める一方だと、最近やっと気が付きました。
T.K
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